2008年11月25日

アヘン戦争

■ 大河ドラマ「篤姫」。前半の徳川家定(堺雅人)、今もひとり異彩を放つ本寿院(高畑淳子)、ふたりの好演が、篤姫(宮崎あおい)を盛り立て、いよいよ大詰め。幕末から維新、この動乱の要因(欧米列国の脅威)の発端が1840-42年のアヘン戦争です。アジア近代の幕開けとなった、この戦争の原因のひとつがお茶でした。

■ 18世紀に始まる喫茶の習慣が、19世紀に急速に普及したイギリスでは、清国からの茶の輸入超過に苦慮します。その打開策に、有ろう事か、イギリスはアヘン(インドで生産)の輸出に活路を見出そうとします。非合法のアヘンは、イギリス商社と、退廃した清国官僚、商人との結託による密貿易で、大量に清国に流入します。いつしか、貿易収支バランスは逆転。清国の財政を圧迫するまでになります。清国政府は対応策として、欽差大臣林則徐を広州に派遣して、厳重なアヘン取り締まりに当たらせ、イギリス商社から押収した、大量のアヘンを1ヶ月近く掛けて公開処分。激したイギリスは、これを口実に戦端を開き、アヘン戦争に突入。清国を武力で圧倒し、結果、莫大な賠償金を奪ったうえに、アヘン貿易を存続させ、また、香港割譲(南京条約)など、清国侵略の足懸りとします。

■ 10年後、清国は洪秀全の挙兵による太平天国の乱(1850-64年)、この隙をねらう、欧米列国との対応に追われながら、徐々に弱体衰微に向かって行く事になります。ちなみに日本では、1853年徳川家定が将軍に(-58年)、篤姫(17歳)島津斉彬の養女に、同年ペリー浦賀来航、同年坂本竜馬(17歳)は江戸(小)千葉道場に入門、時代の空気を肌で感じ取るように成っていきます。


2008年11月20日

初霜


■ 初霜。急に冷え込んだかと思ったら、風邪でもないのにあちこち痛み出しました。気温の急激な変化に、体が付いていけません。初霜とくれば白菊。百人一首(心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花)の白菊が、何菊か判りませんが、家の白菊は多分、リュウノウギク。花をもぐと樟脳の香りがします。花弁の白さは、ピッリとした寒さのなかでこそ、映えるようです。

■ 昨日、ネパール帰りの知り合いの方から、紅茶を頂きました。感謝。昔を思い出し、早速、ミルクティー(チャイ)にして味わいました。とても香りの良いお茶で、幸せな気分に。インドのアッサムに隣接するネパール東部では、ダージリンと同種の紅茶の生産が、盛んなようです。雪山めぐりのトレッキング中、毎朝、テントまで入れ立てのチャイとビスケットを持って、ポーターが起こしに来てくれます。これは帝国主義のイギリス人が、作り上げたトレッキングスタイルで、今も続いていると思います。気持ちよく美味しく頂くのですが、登山の最中、このような接待になれない我々は、何か勘違いを起こしそうになります。

■ 今の季節の登山もいいですね。体調を整え再挑戦したいものです。

2008年11月15日

木の名前

■ 初冬、咲いては散り敷く山茶花、この花、結構せわしない。派手な八重より白の一重の方が、あまり散らかった感じはしません。ところで、サザンカは山茶花と書きますが、中国では、山茶花は椿の総称を意味します(中国・山茶科=日本・ツバキ科)。そして、椿は中国原産センダン科の落葉樹、香椿(シャンチュン、チャンチン)をさすようです。この木なぜか日本では、唐変木(とうへんぼく)とも呼ばれています。気が付かなかったのですが、福岡市の中心部に、街路樹としてあるのだそうです。春にピンク、夏に緑、秋に黄葉する、結構目立つ木のようです。唐変木は気の利かぬ、偏屈な人の意に使い、由来は諸説ありますが、木の名につながるものは見当たりません。多分、後からのこじつけではないかと思います。ちなみに椿は椿事、椿説に使われています。

■ もう一つ、中国で寺院、宋廟などに案内されると、必ず通訳ガイドが、ヒノキに似た常緑樹をさして「柏です」と説明します。「え! 違うでしょう」と我々。ところが、日本にもヒノキ科の常緑樹児手柏(コノテガシワ)が古くからあり、落葉樹の柏とは区別されています。しかし、一般に柏といえば落葉樹を指します。司馬遼太郎の紀行文にもありますが、これは、輸入された漢字が、誤って一般に流布した結果と考えられています。また一説に、当時のエリート達は、書物から柏が薬効もあり、香よく、常緑であることから、中国では、聖なる木とされている事を、認識していました。ところが、いつの頃からか一般では、落葉樹の柏に薬効と器や紙の代用、枯れてもいつまでも、枝から落葉しない様子などから、聖性を感じ取り、常緑樹の柏といつしか入れ替わったのでは、とあります。楓(カエデ)も元はマンサク科の楓(フウ)の誤用、辛夷(コブシ)にも疑いの目が、その他まだまだ有りそうです。

■ 山茶花といえば落ち葉焚き。晩秋から初冬の晴れ渡った空に、静かにたちのぼる白い煙と、焼き芋の香りは、この季節の風物詩、捨てがたいものがあります。にもかかわらず、町内では焚き火禁止令なる御ふれが出され、広報車が音量を上げ「焚き火をしますと警察に通報します!」などと慇懃無礼に触れ回る始末。山火事などの心配は分かるが、ドーニカナンナイノ!!

2008年11月11日

翻訳

■ 読書週間が終わっても、「100冊の本」「著名人が薦める本」とか、メディアでは本の話題が続いています。この中に必ず出てくるのが、読みかけては、返り討ちにあった本たちです。代表は日本の古典、哲学、ロシア文学。中高生の頃から苦杯をなめ、悔しさと、諦めの思いをさせられた、本が並びます。そしてついでに、読んでない本の多さにしゅんとしたりします。もちろん、世にある万巻の書を、読み切れるはずもないのですが。

■ ここで、意地け者の意趣返し。話題の亀山郁夫新訳のドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、これが、実に面白く読めて、どんどんページが進むんです。以前の翻訳に問題ありと、責任転嫁をしたくなります。この新訳については、村上春樹による新訳のアメリカ文学でも、同様の経験をしています。村上さんは、翻訳は経年劣化に伴い、継続的に再訳されるべきと云っています。わが意を得たような気分です。

■ 負け惜しみを幾つか。「日本の古典」でも、気取って不親切な、教科書風の注の美本より、全訳注の文庫本の方が、どれだけ愉しく読めることか知れません。「本文」「注釈」「現代語訳」となると、1巻ですむ本が4巻に増えたりします。それも致し方なし。愉しく読破する事を、優先したほうが得策だと思っています。

■ 英語も同様、古典の文法重視の学校教育が、話すこと、読むことの愉しさを、どれほど奪って来た事か知れません。本は内容です。助動詞の何段活用などに苦労した事など、ホント思い出したくもありません。また漢文についても、漢詩は中国語なのですから、日本語読みにこだわらず、はじめに、中国語の基本を少しでも学習していれば、どれほど取り掛かりやすく、また、愉しめた事でしょう。

■ 名訳と評価の高い本もありますが、問題ありと思わせる翻訳本も少なくないと思います。新訳本には、誤訳などの批判は付物ですが、諦めずに新訳、再訳に期待しましょう。  

2008年11月6日

漢字

■ 最近、韓国の小学校で、児童の意思疎通能力の向上のため、漢字教育再開の、ニュースがありました(これまでは中・高校で1800字学習)。15世紀に漢字を廃して作られた、朝鮮固有の文字、ハングルは表音文字です。日本語では、パソコンで例えば「こうじょう」と打つと、「工場」「向上」「厚情」「恒常」「甲状」「交情」「甲状」「高上」「口上」と出てきます。同音の漢字の多さには閉口しますが、字面で何とか、意味を把握し選択します。一方ハングル(漢字1字はハングル1字)は、日本語の話し言葉と同様、文脈から単語(漢語)の意味を理解する事になるので、今回の処置は、その非能率性を避けるため、漢字が持つ表意の働きの活用を、早い時期から、始めるという事でしょうか。

■ ところで、日本でも幕末から明治にかけ、欧化を急ぐあまり、漢字の廃止、果ては、「日本語を捨てて英語を国語にせよ」と、時の文部大臣・森有礼は、言語改革の必要性を叫んでいたそうです。(彼は人種改革も唱え、欧米人との混血を急げとも) つまり、明治30年代には漢字廃止は、国の方針ともなっていたようです。その後しばらく、言語改革論は「かな派」と「ローマ字派」に別れての、漢字廃止論争として続きました。そして敗戦後、再度、漢字廃止と日本語のローマ字化論(読売新聞が提唱)が持ち上がり、他にも、今から思うと突拍子もない、作家志賀直哉の、「国語をフランス語に」との提言があったりします。こうした状況の中、どさくさに紛れて1946年末、「当用漢字表」(1850字)が登場します。これは、将来の漢字全廃を目的として作られ、字体の簡略化、かなづかいなど、後に多くの問題を残す事になります。次いで、1981年には「常用漢字表」(1945字)が公布されています。何れにしても、現在、所期の目的はウヤムヤとなり、使用できる漢字数は、逆に増える傾向にあります。

■ 漢字の本家中国でも、清朝滅後日本と同様に、進歩の阻害要因と思われる、煩雑な漢字を、廃止する運動が起り、経過処置として暫定的に、簡体字が作られました。つまり、この間にローマ字(ピンイン)の普及に努め、将来は、漢字を全廃する方針だったそうです。中国語の横文字化です。しかし、当分の間は今のまま、でもいつか又、本来の字画の漢字復活の時が、来るかも知れません。言語はその国の、何より掛け替えのない文化なのですから。

■ ついでに。明治期、洪水のように押し寄せてきた外来語に対し、当時の学者たちは、懸命に漢籍などを参考に、漢字への翻訳に格闘しました。現在、日本語の言葉として使われている、政治、経済、法律、科学、思想、哲学、文化関係などの学術用語の多くは、当時の翻訳語(和製漢語)です。この大量に急造された翻訳語が、上記の同音語の増加を招く結果となります。そして、日露戦争後、急増した中国人留学生達によって、これら翻訳語(本質、労働、理想、理性、階級、共産主義、人民、共和などなど)が中国に持ち帰られなどして、現在、中国語として普通に使われています。詳しい辞書には、日本語と明記されているそうですが、一般市民にとっては関係なく、へたに「人民や共和は日本語ですよ」と言うと、「何いってんの?」と妙な顔をされてしまいます。漢字は本家中国の物、漢字に対するプライドはすこぶる高いのです。でも、社会主義も日本語なんですけど。