2008年11月11日

翻訳

■ 読書週間が終わっても、「100冊の本」「著名人が薦める本」とか、メディアでは本の話題が続いています。この中に必ず出てくるのが、読みかけては、返り討ちにあった本たちです。代表は日本の古典、哲学、ロシア文学。中高生の頃から苦杯をなめ、悔しさと、諦めの思いをさせられた、本が並びます。そしてついでに、読んでない本の多さにしゅんとしたりします。もちろん、世にある万巻の書を、読み切れるはずもないのですが。

■ ここで、意地け者の意趣返し。話題の亀山郁夫新訳のドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、これが、実に面白く読めて、どんどんページが進むんです。以前の翻訳に問題ありと、責任転嫁をしたくなります。この新訳については、村上春樹による新訳のアメリカ文学でも、同様の経験をしています。村上さんは、翻訳は経年劣化に伴い、継続的に再訳されるべきと云っています。わが意を得たような気分です。

■ 負け惜しみを幾つか。「日本の古典」でも、気取って不親切な、教科書風の注の美本より、全訳注の文庫本の方が、どれだけ愉しく読めることか知れません。「本文」「注釈」「現代語訳」となると、1巻ですむ本が4巻に増えたりします。それも致し方なし。愉しく読破する事を、優先したほうが得策だと思っています。

■ 英語も同様、古典の文法重視の学校教育が、話すこと、読むことの愉しさを、どれほど奪って来た事か知れません。本は内容です。助動詞の何段活用などに苦労した事など、ホント思い出したくもありません。また漢文についても、漢詩は中国語なのですから、日本語読みにこだわらず、はじめに、中国語の基本を少しでも学習していれば、どれほど取り掛かりやすく、また、愉しめた事でしょう。

■ 名訳と評価の高い本もありますが、問題ありと思わせる翻訳本も少なくないと思います。新訳本には、誤訳などの批判は付物ですが、諦めずに新訳、再訳に期待しましょう。  

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