2008年10月31日

紅葉

■ 冬鳥ジョウビタキの、ヒィヒィ・カッカッのテリトリー宣言も始まり、今年も残りあと二ヶ月。各地から、紅葉の便りが届くようになりましたが、こちらではまだようやく、柿の葉が赤く色づき始めたぐらいです。年々紅葉の時期が、遅くなっているような気がします。やがて紅葉は年を越え、紅葉を横目にしながら年賀の挨拶、お屠蘇にお雑煮という、妙な正月風景になるかもしれません。

■ 紅葉のメカニズムは、気温の低下にともない、越冬のために、まず、根からの水分の吸収を絶とうとします。すると、枝と葉の境に、離層の形成(葉を落とすための特殊な細胞層の形成)という現象が起こります。そして、葉の水分補給を絶たれた、葉緑素のクロロフィル(緑色素)の分解が起こり、葉の緑色が消えます。残されたカロチノイド(黄色素)が浮かび上がり黄葉(イチョウなど)に、タンニン(茶色素)が多く残されたのが茶色葉に、光合成により残された糖分との結合体、アントシアニン(赤色素)が広がって、紅葉となるのだそうです。

■ このアントシアニンは、モミジやリンゴ、赤い花ばかりでなく、アジサイ・アサガオなどの青い花、ブドウ・ブルーベリー・ナス・紫キャベツ、タマネギの紫色、など数多くの植物に含まれているそうです。紅葉、花、野菜、果物などをきれいに彩り、視覚的に人を引き付けるアントシアニンの作用は、人間の健康にとっても、有益な働きをしています。その働きとは、紫外線により発生する、活性酸素を消去する抗酸化作用。つまり肌の老化、白内障、皮膚がんなどの発症に深く係わる、有害な活性酸素を消去すると云うのです。

■ 紫外線は人間ばかりでなく、植物にとっても、やはり有害な存在です。けれども、紫外線を多く浴びる、日当たりの良い場所で育った、花や果実ほど、色鮮やかに咲き、そしてみごとに実ります。それは紫外線が当たれば当たるほど、活性酸素から、花は自らを守るために、果実は次世代の種子を守るために、益々多くの色素を作ろうとするからです。花は昆虫に花粉を、果実は鳥や獣に種子を、託すことで子孫を残そうとします。その為にも、より魅力的な美しい花、より美味しそうな果実となり、健全な種子を残そうとするのだそうです。

■ 紅葉に話を戻すと、確かに日の良く当たる枝先、上部は赤く、内側、日陰側は黄色みを帯びて、アントシアニンの量の差を、見て取ることが出来るような気がします。今年は台風の影響も少なく、どこもきれいな紅葉が期待されるとのことです。どこか近くの山に出かけてみませんか。

■ 引用・田中修「たのしい植物学」。田中さんは例のラジオ番組の名回答者。適確かつユーモアに溢れた回答ぶりには好感がもてます。

2008年10月28日

秋の夜長

■ 気が付くと、虫の音も小さく静まり、秋の夜長で読書について。数日前のテレビで、好きな作家の一人、角田光代の読書法が、紹介されていました。居場所ごとに本を変え、一日に5・6冊、同時に読んでいるそうです。私も同様な読み方をしてますが、せいぜい3冊どまり、負けてます。しかし、さらに上手がいるもので、井上ひさしは、一日に10数冊読む日もあると、本人がテレビで言ってました。「ホントカヨ!」と、プロの凄さに感服。本を読むのも仕事とはいえ、よほどの本好きでなければ、出来ないことでしょう。

■ 話を角田さんに戻して。彼女が現在読書中の、5・6冊の本が画面に映り、その中に昭和史・満州関係の本が3冊、入っているのが目に留りました。彼女の関心が、どのような方向性を持つものなのか、もちろん、正確に推し量る事は出来ません。ただ、これらの本から、中国と日本の歴史に、関心を向けてきた私としては、昭和初期の金融恐慌、これに続く世界恐慌から、ファシズムの台頭に向かった歴史を、すぐに思い浮べました。世界恐慌の瀬戸際を思わせるような現在、政治に対する不信、経済格差、何より政治家のていたらく。それに、小林多喜二の『蟹工船』に、若い人達が共感を寄せている事など、昭和初期との不吉な符合を感じている人は、少なくないと思います。ひょっとして、角田さんも同じような思いを感じているのかと、勝手に想像したりしました。

■ 国際的には当時とは異なり、各国の協調も進んでいるとは云え、大国主義、ナショナリズムは、いまだ衰えず、恐慌からインフレ、食糧危機、エネルギー、資源、宗教、などの問題を引きがねに、いつどこでまた暴発し、紛争が拡大するかしれません。杞憂だとは思いますが、歴史は繰り返すの例えもあるので、微かに不安を感じています。

■ 読書について書こうと思ったのですが、横道に逸れました。いずれ其のうち。

2008年10月23日

漱石とウーロン茶

■ 漱石の『明暗』(大正5年・1916)に、主人公の一人津田が、医者に注意されていた入院前の食事を、急いでとる場面がでてきます。津田本人が買ってきた包み紙を、お延(妻)が開けると、紅茶の缶とパン、バターが現れます。ところが、次のように文章がつづきます。「やがて好い香のするトーストと濃いけむりを立てるウーロン茶とがお延の手で用意された。」 この文章について、「これって漱石先生少し変じゃないですか!」 と、疑問を投げかける人もいるようです。確かに字面からすると少し変。

■ この頃のウーロン茶事情。ウーロン茶の故郷は中国福建省だそうです。しかし当時、日本統治下の台湾(明治28年・1895-1945)では、福建からの茶樹の移植も進み、すでに明治末には、日本の国策に沿って台湾独自の生産がなされ、イギリス・アメリカ・ドイツ等への輸出も盛んに行われていたようです。ちなみに、第4代総督・児玉源太郎、民生長官・後藤新平時代(明治31-39年・1898-1906)製糖業を指導した新渡戸稲造等以来つづく、日本の国策に基づく地場産業の日本化は、台湾を大きく変えたようです。

■ 始めの疑問へ。『明暗』連載当時、台湾は日本の統治下、輸出されたウーロン茶の一部が、当然日本にも入って来ていた筈です。このウーロン茶(白毫烏龍茶)は、発酵度が高く紅茶に近い青茶で、フルーティーな香りを持つ独特なお茶として、好評を博していました。そして、紅茶の本場イギリスでは、特別にこのお茶をオリエンタル・ビュウティー(東方美人)と呼び、珍重していたそうです。つまり、ウーロン茶も紅茶のひとつとして、飲まれていたのではないでしょうか。結果、上の文章にはさしたる誤りは無く、英国留学経験のある漱石先生は、何の違和感も感じなかったのだと思います。

■ 漱石は『明暗』未完のまま、その年12月9日に亡くなりました。 

2008年10月21日

鹿出現

■ 今日の午前8時半頃に鹿が3頭現れました。大人のメス2頭に子鹿1頭のようです。カミサンが発見・撮影しました。慌てていたせいかちょっとピンボケ。しかし、撮影にはなんとか成功しています。(手前2頭、奥1頭)

■ これまで鹿を見かける時刻は、辺りがうす暗い早朝か夕方に限られていました。すっかり明るくなってからの出現にちょっと驚いています。

2008年10月18日

お月さま

■ 2日続いたイノシシの襲撃、今日は何事も無く少しホッとして月の話。今年の中秋の名月は9月15日でした、でも今の月も綺麗ですよね。今日は寝待月。

■ ところで、月は太陽の光を反射して輝いているので、おおよそ8分前の太陽光を見ているのだそうです。ここからは数字ばかりでゴメン。地球から太陽までの距離が約1億5000万km、光の速度が秒速約30万km/sですので、太陽の光が地球に届くのに約8分20秒ぐらいかかることになります。月までの距離は約38万kmですから1秒ちょいです。

■ ついでに地球について、
自転速度は赤道付近で 時速約1700km/h(秒速500m/s)。
公転速度は 時速約108000km/h(秒速30km/s)だそうです。

静かに月を眺めている時も、イビキをかいて気持ち良く寝ている時も、トイレに座っている時も、とんでもない速さで、我々はぶん回されている事になりますよね。でも何も感じないホント不思議です。これがもし、何かの拍子で月が無くなると(月と地球との重力関係が消滅すると)、地球の1日は4時間つまり自転速度は今の6倍の速さ(秒速3000m/s)になるそうです。そうなると、とても人類は生存できません。あの美しい月の存在が、いろいろな恩恵を地球に与えてくれているようです。

■ この話の数字の出所の多くは例のラジオ番組からです。

2008年10月16日

庭無残

■ 今朝起きてビックリ!庭が掘り返され一夜の中に、耕されたばかりの畑のように変貌。イノシシの仕業。ミミズを掘り、ドングリ、ユリ根を食い散らかした痕です。ガックリ。この数年イノシシばかりでなくシカ、サルを見かけることが多くなりました。初夏にはサルの群れが出没、庭に置かれた椅子に腰かけ、行儀よく夏みかんを食べたり、両手に二個抱えて立ったまま逃げ去る滑稽な姿を見かけました。またエンドウマメのサヤをツルに残したまま、中身だけきれいに食べていくみごとなワザには感心します。知らずに騙されたカミサンは怒っていました。

■ ここに住まいして三十数年になりますが、庭をシカが駆け抜けたり、サルの群れを見かけるようになったのは、この一、二年のことです。食糧不足などの環境変化によるのか、個体数の増加によるか、はっきりとした原因は分かりません。シカの例では杉の食害で食べる高さが低くなっているので、個体の矮小化がみられ、個体数の増加が原因ではとの話も聞きました。何れにしても人家近くに出没すれば、害獣駆除がおこなわれることになるので彼らも大変でしょう。

■ 今から庭の復旧作業。いつまた襲撃に遭うのか分からないのが辛いところです。

2008年10月14日

「跡無事」をブログに移行しました。

■ 「跡無事」をブログに移行しました。ややこしい設定に戸惑い、使い慣れるのに多少時間がかかりそう。次回の投稿まで間が空きそうです。あしからず。

■ と言いながら、取りあえず不安を抱えて見切り発車。いつ中断に追い込まれるか分かりませんが、ブログを開設します。

■ 借りものを横にくっ付けておきましたのでご利用ください。NASAのは画像の下の文字をクリックするとNASAのホームページが出ます。天体の画像は必見です。お楽しみください。



2008年10月13日

NHK夏休み子供科学電話相談

■ 季節を外して御免。大人のファンも多い、毎年聞き逃せないラジオ番組です。3時間続く放送で、夏の甲子園の中断をはさんで4週間、ラジオから離れられず、日曜を除いて毎日聞くのはホントに大変です。日曜日にはホッとするぐらいですから。昆虫・植物・鳥・魚・動物・天文・宇宙、そして昨年から新たに心と体について、子供からの質問に専門の先生方が答えます。へーとかホーと唸ることがしばしば、メモを取るのも忙しい。私はこの番組の大ファンなのです。

◆ 幾つものヘー・ホーの中からひとつ紹介します。「心はどこにあるの?」昨年小学5年生の女の子からの質問です。皆さんならどうお答えになりますか。そのとき先生は「うれしい時や好きな子に会った時などにドキドキするよネー、だから胸の辺りにあると思ったりしますが、頭で考えたり想ったりするので、たぶん心は頭にあるんだと思います。でも先生は、人と人の間に心はあるんじゃないかと、考えてみたりしています。」彼女との少しの応答の後先生が「これから大きくなる間に、この事を時々思い出して考えてくれると、先生嬉しいんだけど」「はい、解りました」と彼女の返事。先生が嬉しそうに「ありがとう!」

◆ これにはいたく感銘を受けました。この時の応答をうまく再現できないので、的外れに聞こえるかも知れませんが、心の所在を探るこの短い応答に、結構大事な問題(哲学的?)が含まれているように思いました。また、心について素直に不思議に思った小学生と、同じ立場に立って、一緒に考えようとする先生の真摯な姿勢は、現在の世界・社会の状況を考える上でも、とても大切なことのようにも感じられました。深読みに過ぎるでしょうか。

◆ 他にも幾つか紹介したい質問が有りますがいずれ其のうち。

挨拶に換えて

■ 9月27日ホームページを開設しました。庭などの画像を見ると細部がよく見えないせいか、或いは少しは綺麗に撮れた画像を選ぶせいか、結構現実とずれている感じがしています。初めてこれを見られた方が、実際にこちらに来られてガッカリされないか心配しています。取あえずホームページは見合い写真(死語 ?)の様なものってことで、、、。でも画像イメージが本当に現実を写し撮るのか?、なんて考えだすと事は複雑で分からなくなりますよね。

◆ 木立が古色を帯びた、自然なままの庭は好ましいけれど、草木に手を加えた、当世風で派手な庭は見苦しく不快だと「徒然草」にあります。この部分は、庭についてだけ言ってるのでは無いようですが、兼好好み(美意識)の表白なのでしょう。”自然と作為”今も続くこの話は微妙ですよね。限りなく自然を追求し、手を加えられた日本庭園と、同じく徹底して手を加える、イングリシュガーデンも、共に作為の庭です。ここには優劣など無く、好みと自然観を基にした文化の違い(人の生き方の違い)が現れているのでしょう。

◆ ついでに、ページタイトルの「跡無事」(あとなしごと)は「徒然草」の序段にある”よしなしごと”(つまらぬこと)の類語です。ちょっとかっこ付けました。生来の筆不精、いつまた書くことやら知れませんが、たまに覗いて見てください。