2008年12月10日

中東の歴史・外交

■ 近代中東の歴史を概観して、見えてくるのは、大国の国益優先の外交と、それに翻弄される民族と国家の姿です。第一次大戦の、三枚舌と言われる、イギリス植民地外交から、東西冷戦をへて、ブッシュ外交に至るまでの、各国の外交には疑問を感じます。では、外交とは何なのか 。

■ 外交の定義。「目的は国益の追求と実現。究極の目標は、その国の理念・イデオロギー・民族のビジョンによって形成される。」つまり「一国の外交は、その国家・民族の、政治の対外的発現であり、それ故に、その国家・民族の固有する、世界観・使命感がイデオロギー的形態を取って、その対外政策と活動の最高の指導原理となるを常とする。」よって、「外交は、その国家・民族が固有する、ビジョン・世界観を形成しているところの、文化的伝統の対外的表現となる。」ついでに、「外交史は、一国がその文化的伝統に基づく、最高理念を追求しようと努力する、歴史過程である。」神川彦松(国際政治学)

■ 外交の定義は、おおよそ、これに尽きるようです。国家間の外交が、国益の追求と実現を前提に、行われるとすれば、衝突も起こります。(国益が一致する友好的外交も、勿論有ります。)こうした場合、通常は国家間で政治的妥協をもって、解決が図られます。しかし、その衝突に武力が伴えば、戦争による解決ということになります。外交は常に、戦争の危機を孕んでいるとも、言えます。

■ 外交は対外的にどうあれ、国内では、例えば、イギリスの三枚舌外交でも、国益とあれば、歓迎され正当化されます。その時の、国のイデオロギー形態によって、外交は決定されるのだから。ところが、国のイデオロギー形態は、時として変わります。アフガニスタンにソ連侵攻の場合、一方的に国益を振りかざし、大国が小国に攻め入る時、国力と武力の差で、当然、大国が有利です。後で、イデオロギー形態が変化した、と言われても、戦場の跡に残されるのは、相手国の悲惨な状況だけでしょう。

■ アメリカは、一時、オサマ・ビン・ラディンが参加した、アフガニスタンの、対ソ連ゲリラ活動を支援したり、イラン・イラク戦争中のサダム・フセインに、武器援助をしたにもかかわらず、後に、タリバン・アフガニスタンを攻撃し、サダム・フセインのイラクを空爆します。この、ご都合主義と思えるアメリカの外交、そして、その度、掲げられる外交理念(民主主義の拡大)とは、いったい何なのか。始めから懸念されていた、戦後統治も出来ぬままに、流血を繰り返し、いずれは放棄撤退する。大国アメリカの国益とは何なのか?

■ イスラーム過激派拡大の底流である、パレスティナ紛争の構造は、単なる国家間紛争ではなく、実際には、イスラエル・アメリカとイスラーム諸国との紛争の、様相を呈しています。世界各地で頻発するイスラーム紛争には、イスラーム諸国(過激派国際テロ集団も含め)は、宗派間に対立があるにしても、揃って敏感に反応します。こうした中、既存の国益優先の外交や、それを基にした国連組織、機能では、充分に対応しきれていないように思います。新たな発想が必要なのかも知れません。

■ この後次回。

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