2008年12月8日

中東の歴史・2000年以降

■ 2000年以降。各地で激しいテロの応酬が繰り返されます。
《パレスティナ》 2000年パレスティナとイスラエル双方の聖地である、エルサレム(東側・パレスティナ、西側・イスラエル)で、イスラエルの、右翼政党リクードのシャロンが、東側エルサレムに踏み込み挑発、パレスティナ側は反発、暴動が起こります。

■ 2001年シャロン政権が成立。エルサレム全域を、イスラエルの首都とし、イスラエルに帰属させると主張。また、パレスティナ自治政府の、過激派幹部の暗殺を、指令し実行するなど、自治政府との対決姿勢を鮮明にします。パレスティナ側も、過激派ハマスが、インティファーダを再開。さらに自爆テロも頻発。双方共、数百名の死者を出す、テロの応酬が展開されます。

■ こうした中で、2001年アメリカで、9・11同時多発テロが発生。(アルカイダのオサマ・ビン・ラディンの要求は、パレスティナからのイスラエル撤退) アメリカは、対テロ戦争を宣言。この事件を契機に、イスラエルとパレスティナはいったんは停戦。しかし、イスラエルは、アメリカによる、アフガニスタン報復攻撃の機を捕らえ、パレスティナ自治政府を、テロ支援国家だとして、軍事攻撃に出ます。これをアメリカは容認。

■ 2003年アメリカが、中東和平ロードマップを提示。一時、イスラエルは撤退の姿勢を見せます。しかし2004年ガザ地区攻撃、ハマス指導者殺害。また、境界を無視した、分離壁建設を一方的に進めるなど、強硬姿勢を崩しません。一方、2006年アラファト没後の、自治政府議長選挙で、アッバースが議長に、その後の選挙で、ハマスが第一党になりハマス内閣成立。(ハマスはイスラエル承認と思える姿勢を示します。)

■ 2007年以降も、パレスティナ自治区、ヨルダン川西岸、ガザ地区をめぐって抗争は続き、数度かの停戦協定も破られます。そのたびに、双方とも多くの死傷者をだし、混迷状態は今も続いています。

■ 《アフガニスタン》 2001年10月アメリカは、対テロ戦争を宣言。アル・カイダ(オサマ・ビン・ラディン)を匿っているとして、アフガニスタンのタリバンに対し、報復攻撃開始。タリバン政権崩壊。12月カイザル暫定政権発足。2004年10月カイザル正式政権発足。同年タリバン再結成、南部で武装蜂起。現在も、タリバンとの戦闘状態は続いています。

■ 《イラク》 2003年3月アメリカ・イギリス両軍は、イラクが大量破壊兵器を保有しているとして、それを理由に、国連決議が無いまま空爆開始。フセイン政権崩壊。5月戦争終結宣言。2004年イラク暫定政府発足。2006年イラク正式政府発足。しかし、懸念されていた、戦後のイラク統治に失敗。テロを含む戦闘状態は、現在も続いています。

■ 《国際テロ》 2005年ロンドン同時多発テロ発生。犯行声明が欧州の聖戦アル・カイダ組織から出される。2008年ムンバイ同時多発テロ発生。

■ 歴史概観はひとまずここまでにします。


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